10歳でトランペットを始めた。
その時は従兄弟からもらったお古の楽器を使っていて、
どうしても自分の新品の楽器が欲しかった。
中学に入学する時「お祝いに楽器を買って」と親にせがんだ。
父は「どうせすぐに飽きるだろう」と取り合ってくれない。
そこで母に何回もお願いをした。
その甲斐あって買ってはもらえたが、一番安い2万円の楽器。
それでも当時は家計を何とかやり繰りしてこしらえてくれたお金だったんだろう。
やっとのことで買ってもらえた楽器だから練習にも力が入る。
そのおかげなのか、3年生の時の文化祭では少しだけれどソロももらえた。
それが嬉しくて、母に「必ず聴きに来てね」とお願いしたのだけど、
肝心のソロでトップノートを外してしまった。
演奏の中では一瞬だし、些細なことかもしれないが、外してしまったことをとても恥じた。
自分の力不足なのに「母が来たからいけないんだ」と子供じみた腹いせの言い訳を信じこんだ。
それ以来35年あまり、いろんな機会に恵まれて演奏をしてきた。
しかし母に「今日は見に来てよ」と誘ったことは一度もなかった。
自分で勝手に苦手意識を作っていたのだろう。
しかし今回のオリンパスホールでの演奏には母を誘った。
「立派なホールらしいから一度見てみたいねえ」と言っていたし、
遠い外地にいる弟がその会社に勤務しており、
なかなか会えない我が子の成長と重ねてホールに入ってみたかったのかもしれない。
当日はとても暑い日だった。
「躰にさわるといけないから無理しなくていいよ」と声をかけたのだが、必ず行くと言う。
誘ったことがかえって重荷になったかなとも反省したけれど、
駅からすぐだから大丈夫かなと思うことにした。
演奏の中で、少しだけれどソロをもらえていた。
35年前の嫌な記憶を断ち切れるようにキチンと吹こうと意気込みはあった。
しかし、実はまたトップノートを外していた。
うまく誤魔化す技量だけは身に付けていたので気付かれなかったかもしれないが、
自分の中では完全なミスノートだった。
最初に楽器を買ってもらってから35年あまり。
今ではそれを何十本も買えるお金を楽器に使えるようになった。
でも最初の楽器を手にした時の嬉しさは、こんなに月日が経ったのにまだ鮮やかに記憶している。
その感謝としてキチンとした演奏を聴かせたくて誘ったのだが、思い通りにはならなかった。
翌日、電話で詫びた。
でも、何でそんな電話をしてきたのか判らない様子で、
「あんな安い楽器がきっかけで、たくさんのお客さんに楽しんでもらえるバンドに
居させてもらえるまでになったんだから、それだけで十分じゃない」
それを聞けただけで長年の気負いがとれた。
次にここでの機会があればまた誘って、今度こそミスノートが無く演奏できる気もする。
しかし、いつまで経っても特別な人の前では特別に気負って演奏したい気持ちも残る。
このお話はフィクションです。
照れくさいからそういうことにしておいて下さい。
Tp Ozawa